二谷英明の妻、白川由美は略奪婚だった!?突然死の原因とは?

二谷英明の妻、白川由美は上品な雰囲気が特徴の女優でした。

しかし、じつは白川由美は略奪婚をしていて、娘に知られないように箱入り娘として育ててきたという噂も…。

そして突然の白川由美の死去。果たして原因とは?

二谷英明の妻、白川由美とは?

二谷英明はサスペンスを中心に活躍してきた俳優で、2012年81歳のときに亡くなりました。

そして、二谷英明の妻が同じく女優として活躍していた白川由美(本名二谷安基子)でした。

じつは二谷英明にとって白川由美は初めての妻ではありませんでした。

@kazogsさんの投稿

二谷英明は1964年に前妻と離婚して、当時20代だった白川由美と再婚をしていたのです。

ちなみに、白川由美との関係は二谷英明が前妻と離婚する前から続いていた、いわば不倫関係でした。

二谷英明は白川由美と不倫をし、妻子を捨てて白川由美を選びました。白川由美にとっては略奪婚ということですね。

@kirikaede)さんの投稿

そして、二谷英明と白川由美は結婚してすぐに、ひとり娘となる二谷友里恵を産みました。

ちなみに二谷友里恵は、郷ひろみの元妻で、現在はトライグループの会長である平田修と結婚しています。

なお、平田修はもともと社長でしたが、二谷友里恵に社長を譲って会長になったのだとか。

二谷英明と白川由美のプロフィール

ではここで、二谷英明と白川由美のプロフィールをご紹介します。

二谷英明

二谷英明は1930年1月28日産まれで京都出身です。

同志社大学を卒業してからは、アルバイト生活をしていましたが、1954年にラジオ佐世保に入社しました。

二谷英明はラジオ佐世保で、3年間司会や英語放送のアナウンサーを務めました。

佐世保では2年暮らしましたが、そのあいだに結婚し、娘をもうけていたようです。

@79t.thor)さんの投稿

そして、1956年に小林旭らと第3気ニューフェイスとして、日活に入社し、『沖縄の民』で夜襲の少尉役として俳優デビューしました。

さらに翌年の1957年には主演デビューを飾り、1961年には日活スター映画のローテーションであるダイヤモンドライン入りしました。

そして1964年にかねてから交際していた白川由美と結婚し、二谷友里恵をもうけまsたが、2012年1月7日に肺炎のため死去しました。

白川由美

白川由美は1936年20月21日産まれの東京都出身で、頌栄女子学院高等学校を卒業する直前に森永製菓のキャンペーンガールとして採用され、1956年にスカウトにより東宝に入社しました、

清楚で整った顔立ちが印象的な白川由美は、日本のグレースケリーとのキャッチフレーズが付けられ、入社して早々『ならず者』で映画デビューを飾りました。

@juun816)さんの投稿

現在でもよく知られている代表作と言えば、『家政婦のミタ』や『ハケンの品格』などでしょうか。

ちなみに、1959年~1961年まで続いた映画『サザエさん』シリーズでは、フグ田タイ子を演じていました、

二谷英明と白川由美は二谷友里恵をお嬢様として育てた

略奪愛で二谷英明と結婚した白川由美ですが、産まれてきた娘の二谷友里恵を箱入り娘として育てました。

いわゆるお嬢様のように育てたということですね。

現在はインターネットも普及して、親がどのような過去を辿ってきたかといのはすぐにわかりますが、当時は世間との接触を少なくすることで情報を遮断することが可能です。

@niko_niko_2017)さんの投稿

さらに、二谷友里恵が世間に不用意にさらされてしまうと、悪意を持った人たちによって、不倫や重婚などのことばが投げかけられる可能性が考えられたため、箱入り娘として育てたのでしょう。

そのおかげか、娘の二谷友里恵と白川由美はとても仲がよかったようで、二谷英明が亡くなったあとも、時間があれば二谷友里恵の家族といっしょに過ごしていたようです。

2016年6月、白川由美が心不全により死去

二谷英明が亡くなってから4年後の2016年、白川由美の訃報が日本中に知れ渡ることになりました。

2016年6月14日、当時79歳の白川由美は、14日の午後に急性心不全で倒れました。

すぐに救急車で運ばれたそうですが、倒れてから息を吹き返すことはなく、そのままお亡くなりになりました。

白川由美はいままで大きな持病もなく、倒れる直前まで元気に過ごしていたようです。

そして不思議なことに、亡くなる前の1~2ヶ月ほど、白川由美は自宅付近での目撃談がかなり少なくなったようです。

時間があれば二谷友里恵の家族と過ごしていた白川由美ですが、どうやら本格的に二谷友里恵の家で生活していたようです。

二谷英明が亡くなって以降、白川由美は二谷友里恵や孫たちと過ごす時間が増えたようで、いっしょにオシャレをしたりと友達みたいに楽しそうに過ごしていたようです。

さらに、トライグループの社長となった二谷友里恵は、仕事が忙しくなってしまったため、白川由美は少しでも子育てを支えてあげたかったようです。

もちろん、そのような母心だけではなく、二谷英明が亡くなった寂しさを忘れさせてくれる存在だったからこそ、孫娘たちといっしょに過ごしていたのでしょう。

白川由美の訃報は、あまりに突然だったため、当時は日本中が衝撃を受けましたが、白川由美にとっては大好きな人たちに見送られたという部分では本望だったのではないでしょうか。

きっと天国でも大好きな人にふたたび会えて、幸せに過ごしていることでしょう。






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