岸田今日子の死因は脳腫瘍。娘西條まゆ、ムーミンとの関係性とは
個性派女優の岸田今日子の死因と娘、ムーミンとの関係
個性派女優として知られた岸田今日子さんは2006年12月17日に76歳で亡くなりました。
女優だけてはなくムーミンの声も担当していた事があるようです。
岸田今日子さんとはどんな方だったのでしょうか。声優業や娘さん、ご家族について迫っていきます。
岸田今日子の死因は?ムーミン?若い頃は砂の女で怪演!夫は仲谷昇!https://t.co/WXX8LWOZgj pic.twitter.com/zX5eTK2r7U
— こいも@相互100% (@ornieres) August 18, 2017
岸田今日子さんのプロフィール
名前:岸田今日子(きしだ・きょうこ)
生年月日:1930年4月29日
没年月日:2006年12月17日(76歳没)
出生地:東京都豊多摩郡
血液型:A型
配偶者:仲谷昇(1954年ー1978年)
岸田今日子の父親は劇作家の岸田國士さんで次女として生まれます。
1890年の今日は、日本の劇作家・小説家・評論家・翻訳家・演出家、岸田國士(きしだくにお)が生まれた日です。女優の岸田今日子さんのお父さんですね。 pic.twitter.com/PtmRFPCgEN
— 愛書家日誌 (@aishokyo) November 1, 2017
自由学園在学中に、進路を決めかねていた時に、文学座付属養成所のチラシを見て、当時舞台美術に興味を持ち始めていたので、卒業と同時に裏方として文学座の研修生になります。
父親は女優にならない約束で許してくれたと言います。
しかし、舞台美術希望の岸田今日子さん達も含めて、キティ颱風のオーディションを行って、杉村春子さんの娘役に受かってしまったのだとか。
父親は猛反対で、一度だけという約束で出演したのが、1950年の「キティ颱風」で、19歳の時に初舞台を踏みました。
坂口安吾作品の初出雑誌コレクションNo.61
「福田恆存の藝術」掲載の「文学座3月公演「キティ颱風」プログラム」。昭和25年3月に三越劇場で行われた文学座公演のプログラム。#ango #坂口安吾 pic.twitter.com/vI2AUrRXZO— HOKARI TAKASHI (@takahokari5241) March 1, 2017
1960年 三島由紀夫演出の「サロメ」では、 主役に抜擢され、「陽気な幽霊」ではテアトロン賞を受賞。
1962年に映画「破戒」で、毎日映画コンクール助演女優賞を受賞しています。
1964年には、安部公房の同名小説を映画化。「砂の女」で、男を砂の世界に引きずり込む未亡人を怪演して、ブルーリボン助演女優賞を受賞しています。
RT>特に『砂の女』での岸田今日子様が最高★ 美しい pic.twitter.com/1X09m2VvxU
— GO-LOw (@goro859) April 28, 2018
砂の女は、カンヌ国際映画祭など国内外の映画祭で数々の賞を受賞しました。岸田今日子さんとの名前は、一躍世界でも知られるようになり、実力派女優としての地位を確立しました。
映画『砂の女』の岸田今日子は妙に艶めかしかったな pic.twitter.com/d4vGE74lDb
— Yuka KadokuЯa (@0anamnesis1) March 26, 2018
父親の知り合いの娘さんが出した自叙伝に岸田今日子さんの父親が登場して、「姉の方はなんとかなるけど、妹の方は」と本当に悩ませていたようです。
岸田今日子さんの死因について
1954年に文学座に所属していた2枚目俳優俳優の仲谷昇さんと結婚します。岸田今日子さんは、2006年12月17日に脳腫瘍による呼吸不全のため76歳で死去しました。
岸田今日子さんは亡くなる直前まで舞台「オリュウノオバ物語」やドラマ「あいのうた」に出演していて、コンサートのステージにも立つていましたが、体調を崩して病院で精密検査を受けると手の施しようがない状態の脳腫瘍が見つかります。
絵本も積極的に創作していた岸田今日子さんとは、晩年まで執筆活動を続けていたといいます。
娘の幼稚園は週末毎に絵本を一冊選んで持って帰って来ます。
今回はこれ。面白かったです♪
あの、岸田今日子さん作の絵本です。 pic.twitter.com/1POZ38Qvbz— ナミ (@nami73217) January 12, 2014
投薬治療をしながら症状を抑えていましたが、病状が悪化して脳腫瘍で入院して以降、娘や孫たちの必死の看病で、小康状態を保っていましたが、17日の午後に家族に看取られながら亡くなりました。
葬儀は近親者のみで行われました。付き合いの深い女優の吉行和子さんや冨士眞奈美さんも出席したようです。
11月16日には、元夫の仲谷昇さんが死去したばかりでした。
https://twitter.com/mitaakiraLP/status/859911969872134144
元夫の訃報を娘さんが伝えましたが、認識できたかどうかも分からないほどの状態でした。
岸田今日子さんとムーミン
1969年にはアニメ「ムーミン」の主人公であるムーミンの声優を岸田今日子さんが務めていました。
最近、夜寝る前に見ているのが1969年版のムーミン。岸田今日子演じるムーミンがたまに間抜けで、でも失敗を通して成長していく姿がかわいらしいです。一番新しいムーミン(1990年版)よりこっちが好きです。 pic.twitter.com/lH05zOWskm
— 谷口 愛沙((عائشه)) (@aishaishaisha) August 3, 2013
ムーミントロールは、 やさしい両親の愛情をいっぱい受け、また友人や恋人に恵まれて ムーミン屋敷に暮らす妖精の男の子です。
岸田今日子さんは、最初の妊娠が発覚した時に、このムーミンの声優業を含む仕事への影響を考えて流産したそう。
そしてその後、2度目の妊娠が分かった時についに仕事を断り、1968年に長女である西條まゆさんを出産してたという経緯がありました。
『主婦の友』1958年10月号附録「子供物を主にした毛糸あみもの集」より、「スエーデン刺繍をあしらった御夫妻の家庭着向きセーター」を着た岸田今日子と仲谷昇。
〈冬のだんらんに、またスキーのあと山小屋でお召しになってもすてきです。〉 pic.twitter.com/aOJZI4eI1t— 鈴木薫 (@kaoruSZ) May 22, 2015
しかしながら、女優業が忙しくなると夫婦仲が上手くいかなくなり1978年に離婚。ここから娘と二人の生活が始まったといいます。
岸田今日子さんが仕事に行く時、当時幼稚園だった1人娘の西條まゆさんに「どこ行くの」といつも聞かれたと言います。
「お仕事」と教えると「どんなことするの」と聞き返してきたことから、女優がどんな仕事なのか、自分の仕事を分かってもらおうと考えて、収録する際には必ず娘を連れて行ったそうです。
岸田今日子さんと云えば特に印象深いのが市川崑監督「犬神家の一族」(1976)。盲目の琴のお師匠さん役でした。あの独特なオーラを放つ女優さんは後にも先にも岸田今日子さんだけですね。ムーミンのお声も好き(笑) pic.twitter.com/pdU85swu2T
— NIELSEN堀内 (@nielsenhoriuti) February 9, 2017
ムーミンの声を担当してから、ナレーションやドキュメンタリー、バラエティまで、幅広く活躍されていました。
著作も多くエッセイから翻訳など幅広いです。
岸田今日子さんの娘、西條まゆさんについて
岸田今日子さんの西條まゆさんは、2018年の現在は50歳になっています。岸田今日子さんが亡くなられた時に喪主を努めています。
1998年に、収録時3歳だったまゆさんとのお話や歌や岸田今日子さんの朗読などを収録したCD「おはなししてよ かあさん~小さな娘のために・岸田今日子~」が発売されました。
岸田今日子さんの友人から「親子の中で何かが生まれる所をレコードにしてみよう」と提案されて、自宅に録音機を持ち込んで、1日に何時間も録音したテープの中から、可能な限りそのままの声を生かして制作されたものです。
女優ではない母親としての姿が感じられる1枚です。
価格1190円~ おはなししてよ かあさん~小さな娘のために・岸田今日子 岸田まゆ 日本コロムビア https://t.co/7rBLzKunkT pic.twitter.com/RvnEkqer7F
— 音楽やったね (@lawrieal) November 20, 2015
2005年のあるインタビューに、今娘さん夫婦と一緒に住んでいて、7歳になる孫を「弟」と呼んでいると話していて、この春に生まれた孫を合わせると2人弟がいる事になると話していました。
自分は娘さん夫婦の長女と言う設定だといい、上の弟は岸田今日子さんのことを「きょうこちゃん」と呼んでくれるといいます。
ご家族仲良く過ごされているのがわかりますね!お孫さんが可愛くて仕方ない様子がわかります。
13年前のインタビューなので、7歳だったお孫さんも成人式を迎えられたことでしょう。