太田雄貴が笹川友里アナと結婚!!モデルの元彼女と結婚秒読みだった!?

日本フェンシング史上初のメダリスト太田雄貴は、2017年12月に笹川友里アナと結婚しました。

そこで、太田雄貴の結婚相手・笹川友里アナの異色の経歴とモデルの元彼女と結婚秒読みだった?という真相についてご紹介します。

太田雄貴が笹川友里アナと結婚!!笹川友里アナの異色の経歴とは

太田雄貴(おおたゆうき)といえば、2008年の北京オリンピックで日本フェンシング史上初の銀メダルを獲得し、一躍脚光を浴びた人物です。

その後も、ロンドン、リオデジャネイロ五輪に出場するなど、フェンシングのトップ選手として大活躍したことで知られています。

@tajjiemaxさんの投稿

また、2020年オリンピックの東京への招致活動にも大きく貢献しました。

オリンピックの開催地が東京に決まったときの太田雄貴が涙を流しながら喜ぶ姿は忘れられないという人は多いのではないでしょうか。

その後太田雄貴は、2017年8月から日本フェンシング協会会長を務めています。

そんな太田雄貴は、2017年12月1日に、かねてから交際していたTBSの笹川友里(ささがわゆり)アナウンサーと結婚したことをお互いのインスタグラムで発表し話題となりました。

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太田雄貴は32歳で、笹川友里アナは5歳年下の27歳での結婚となりました。

2人が真剣交際していることは2016年5月にスポーツ紙の報道により発覚

太田雄貴と笹川友里アナの馴れ初めについては明らかになっていませんが、交際し始めたのは2015年のことだったそうです。

交際報道後、進行を担当しているTBS系情報番組『王様ブランチ』に生出演した笹川友里アナは

「温かくでも冷たくでもいいので、どちらかで見守っていただけたらと思います」

と太田雄貴との交際を認めました。

太田雄貴の結婚相手・笹川友里アナの異色の経歴とは

@sasagawayuri)さんの投稿

笹川友里アナは異色の経歴を持つ女子アナとして知られています。

ここでは太田雄貴の結婚相手・笹川友里アナの異色の経歴についてご紹介します。

笹川友里アナは、もともとアナウンサー志望でしたがTBSのアナウンサー採用試験を受けたものの不合格になってしまいます。

そんな笹川友里アナは、その後、同じTBSの一般職の採用試験を受験して2013年4月にTBSに入社しています。

TBSに一般職として入社後、笹川友里アナは情報制作局情報二部に配属され、AD(アシスタントディレクター)として、『王様ブランチ』などの番組を担当しました。

しかし、TBSの先輩アナで、中学・高校・大学の先輩でもある林みなほアナが自身のブログでADだった笹川友里アナを「美人AD」として紹介したことから、笹川友里アナに奇跡が起こり始めます。

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バラエティー番組で「美人すぎるAD」として笹川友里アナが取り上げられ大きな話題となり一躍注目を集めたのです。

その結果、笹川友里アナは、翌2014年4月から、TBSのアナウンス部に異動することになり、ADから女子アナへと転身したのです。

このような例は、過去になかったのではないでしょうか。

太田雄貴はモデルの元彼女と結婚秒読みだった!?

「美人すぎるAD」と言われた笹川友里アナと結婚し、幸せいっぱいの太田雄貴ですが、実は、結婚秒読みと言われたモデルの彼女がいたのです。

やっぱり、オリンピックのメダリストだけあって、太田雄貴はモテ男のようですね。

太田雄貴の結婚秒読みまでいったモデルの元彼女とは、檀原彩(だんばらあや)という方です。

檀原彩は、資生堂のCMに出演するなど活躍していたモデルです。

太田雄貴と檀原彩の交際は、2012年9月に女性週刊誌にスクープされています。

2012年9月といえば、太田雄貴がフェンシング・男子フルーレ個人において、3回戦で敗れ日本史上初となるフルーレ団体で銀メダルを獲得したロンドンオリンピックが開催された直後の頃です。

太田雄貴は2009年頃から檀原彩と交際を始めたと言われており、その後同棲もしています。

お互いの実家にも行き来していたため、結婚秒読みだと言われていました。しかし、結局この2人は破局してしまったようです。

太田雄貴のプロフィール

@taaaaku.1122)さんの投稿

名前:太田雄貴(おおたゆうき)

生年月日:1985年11月25日

出身地:滋賀県大津市(京都府生まれ)

身長:171cm

血液型:O型

趣味:車、音楽

特技:寝ること

出身小学校:大津市立比叡平(ひえいだいら)小学校

出身中学校:平安中学校(京都府京都市、現在の龍谷大学付属平安中学校・高等学校)

出身高校:平安高校(京都府京都市、現在の龍谷大学付属平安中学校・高等学校)

出身大学:同志社大学商学部

太田雄貴は、父が高校時代にフェンシングをしていたことから小学3年生からフェンシングを始めています。

その才能はすぐに開花し、太田雄貴は小学・中学時代、全国大会を制覇しています。

平安高校に進学すると、太田雄貴は、その実力を存分に発揮し、史上初のインターハイ3連覇を成し遂げたほか、高校2年生の時には、全日本選手権を最年少で制覇しています。

2008年の北京オリンピックのフルーレ個人で銀メダルを獲得し、日本フェンシング史上初のメダリストになり、太田雄貴の知名度は一気に上がりました。

2012年のロンドンオリンピックにおいて、フルーレ個人では、3回戦で敗れてしまいましたが、フルーレ団体では日本史上初となる銀メダルを獲得しています。

2016年のリオデジャネイロオリンピックでは、フルーレ個人で、まさかの初戦敗退を喫した太田雄貴は、現役引退を表明しました。

太田雄貴は、2017年8月、日本フェンシング協会の会長に就任しています。

2018年3月、2008年11月に入社した森永製菓を退社しています。

この記事では、太田雄貴の結婚相手・笹川友里アナの異色の経歴とモデルの元彼女と結婚秒読みだったというのは本当かについて、ご紹介してきました。

太田雄貴はイケメンですし、笹川友里アナはモデルのような美貌の持ち主ですので理想的な美男美女夫婦だと思います。

太田雄貴・笹川友里夫妻が幸せな結婚生活を送ることを祈っております。






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