左とん平死亡。さがみ典礼cmや『西遊記』などに出演。

さがみ典礼のCMや『西遊記』2代目猪八戒を演じた左とん平が、2018年2月25日に死亡しました。左とん平の死因とはなんだったのか、葬儀はどこで行われたのかなどをまとめてご紹介します。

俳優、左とん平が死亡

2018年2月25日、俳優の左とん平が亡くなられました。

死因は心不全で、左とん平は80歳でした。なお、左とん平が亡くなられる4日前に、俳優の大杉連も心不全で亡くなられました。

大物俳優ふたりの訃報は、世間でもかなりの話題になり、悲しみの声が続出しました。

左とん平は2017年6月に1度急性心筋梗塞で入院をされました。以降手術をしつつ入院生活を続けていましたが、入院先の病院で息を引き取りました。

左とん平が亡くなった当日は一度、自宅に帰り、静かな夜を過ごされたようです。そして翌日25日の朝にふたたび病院へと戻りました。

左とん平の葬儀の喪主は左とん平の奥さんが行いました。さらに長男夫婦や孫など、遺族も参列。

芸能界からも、せんだみつおや渡辺哲、パパイヤ鈴木、金井克子など、かつての共演者や事務所の荒廃なども参列したようです。

ちなみに左とん平の葬儀は密葬として行われたため、親族および振興の深かった人のみが参列したようです。

それでも約70人が参列していたとのことなので、左とん平がどれだけ慕われていたかがわかりますよね。

左とん平とはどんな人?

左とん平は「さようならがあたたかい」のセリフでおなじみの、「さがみ典礼」のCMに出演されている俳優です。

しかし、左とん平はさがみ典礼のCMだけでなく、数々の人気ドラマに出演していた俳優でした。

さがみ典礼のCMでの左とん平は、優しそうな雰囲気ですが、ドラマや舞台では優しい人はもちおん、悪人役までマルチにこなす俳優なのです!

さがみ典礼のCMに出演

左とん平のおなじみのCMがさがみ典礼のCMですね。このCMは優しく穏やかなのに、印象深く残るCMだと」思います。

ちなみに左とん平の葬儀はさがみ典礼で行われたのかと噂されていますが、さすがに葬儀業者についての情報はありませんでした。

ただ左とん平を送迎していた車には、アルファクラブ武蔵野の名前が入っていたそうなので、さがみ典礼が葬儀を行った可能性が高いようです。

『西遊記』では、2代目猪八戒に

左とん平は人気ドラマの『西遊記』にて2代目猪八戒を演じた俳優でもあります。

ちなみに、このときの三蔵法師役は夏目雅子だったそうです。

なお、初代猪八戒は西田敏行だったそうで、猪八戒のみがキャストチェンジされたとのことです。

https://twitter.com/ShinozakiH/status/967878145578684416

西田敏行が降板した理由は、西田敏行が当時超過密スケジュールだったため、やむを得なく出演できなかったとか。

また、当時西田敏行の娘さんが3歳だったこともあり。猪八戒について周囲から冷やかしがないようにと、配慮したのではないかともいわれています。

歌手としても活躍していた

意外なことに、左とん平は、歌手としても活躍されていました。

しかも当時はラップのような曲を歌っていたようで、1970年代には『とん平のヘイユウブルース』の、「ヘイユー?ワッチュアネーム」という歌詞が流行したそうです。

ほかにも「人生はすぎこぎなんだよ」や、「おまえもいつかすりこぎになるぞ」などのストレートな歌詞に心を打たれた人が続出し、さまざまな有名人がカバーもしているのだとか。

ちなみに、左とん平は日本のラップ歌手の元祖やパイオニアとも呼ばれている部分があるそうです。

今となっては意外過ぎる事実ですよね…。

左とん平の息子がすごい!

1966年に左とん平の息子が誕生しました。

左とん平の息子は主婦の友社から出版されていたメンズファッション誌『BOYS RUSH(ボーイズラッシュ)』の編集長を務めていました。

しかし、46歳のときに退職し、インターネット関連の会社『株式会社MASA』と『株式会社GV』を立ち上げました。

株式会社MASAと株式会社GVは、おもにSRO対策を強みとする会社で、広告運用やWEBコンサルティングなどを行っています。

ちなみに事業内容や主要取引先、主要取引銀行も同じでしたが、住所や電話番号が違うようです。

また代表取締役の名前も若干違うのですが。同一人物ではないかともいわれています。

左とん平のお別れの会がすごい!

左とん平が死亡してから約1ヶ月後の4月3日に、青山葬儀所にて左とん平のお別れの会が開催されました。

会場には左とん平のお別れの会の発起人である里見浩太朗をはじめ、数々の俳優が詰めかけており、参列者はじつに900人を超えていたそうです。ちなみに、お別れの会はさがみ典礼が行ったそうです。

左とん平は生前、「俺が死んだら葬式はとことん盛大にやってくれ」と言っていたそうで、遺志を尊重したド派手なお別れの会になったのだとか。

というのも、会場には190インチの巨大なモニターが設置され、生花祭壇は高さ320cm。幅440cm、奥行き360cmというかなりの大きさで、6570本もの花が使われたそうです。

こんなにも大きな生花祭壇になったのは、左とん平が上げ底でもいいからとにかく大きくしてほしいと希望していたから。しかも写真はできるだけかっこよく写っているものを使用してほしいとのこと(笑)

https://twitter.com/1992unyn/status/982210038759505920

ほかにも左とん平はさまざまな希望をしていたようですが、お別れの会は希望に沿うような形で行われました。

900人を超える人が参列したお別れの会。やはり左とん平は昭和の名俳優であり、どれだけ周りから慕われてきたかわかることでしょう。






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